my favorite songs 006:時代

『時代』。意味の強い題はその言葉自体に振り回されます。題読みの難しさを痛感させられました。
中島みゆきが鳴りっぱなしです。

自作

低温の時代に僕ら飽食し終齢幼虫ははりさけていく

脱皮して巨大化していく蝶の幼虫に、日々の不満を抱きながらも即時的な欲望を満たしていく様をかさねた感じなのですか?どうなのですか?自歌の解説は恥ずかしいですねえ。

時代の歌。皆さん苦労されていました。今回は三首で。


おおざっぱな青春時代のまんなかに缶コーヒーの缶は立ちおり
(夏実麦太朗)

観念的であると同時にビジュアル的でもある歌です。
シーンとしては、夕暮れのグラウンドの真ん中に、飲みさしのUCCの缶が影を引いている場面が(そんなことは全然言っていないが)思い浮かびます。
いっぽうで、『おおざっぱな青春時代』という妙な表現。これがポエジーの中心点である『缶コーヒーの缶』に詩情をポンプで輸送している。
単純に昔を懐かしんでいるのではなく、改悛とも慙愧ともつかない、なんともいえない感情が滲んでいます。


あかんべえの舌すこしずつ乾かして時代の風が吹き抜けてゆく (飯田彩乃)

ふつう、『あかんべえ』はペロッと舌をだしたら終わりで、そんなに長時間するものではありません。
しかし作者はべろっと舌を出したまま、『時代の風』に乾いていっています。
世間の波に流されきらない、少し子供じみた反逆心と、それで何かが変わるわけでもない虚しさが、上手く表現されています。


(わたしから原始時代がとけだして過呼吸になる)遠く雷鳴 (新藤ゆゆ)

延々と続く括弧の中でとても息苦しくなって、我慢の限界までもってこられる。
そして結句でようやく括弧を抜けたら『遠く雷鳴』。
息を継ぐとともにふと我に返る。
斬新な括弧の使い方ですが、結句だけを囲うよりも、コチラの方が断然効いています。