my favorite songs 004:果

四つ目は「果」です。
果物の「果」であり、最果ての「果」でもあります。
様々な寓意を込め易く、エロスの発端ともなる語句であるため、面白い歌がたくさん詠まれたように思いました。


自作
双の手に薄き果集め山羊飼いは山羊飼いとして草原に佇つ

モンゴルか何処かの遊牧民のイメージです。
孤独に山羊を追いながら過ごし、杏の季節になると、山羊の乳を干した杏と交換する。
基本的に僕の歌はフィクションなんですが、これも例に漏れず嘘歌です。


心に残った七首の歌たち

弁護士になれなかったと言う姉が和室に立てば果てしなく鳥 (玉村 一)

幼少の頃から優秀なお姉さんが最後の司法試験に挑むも不合格、慰めの言葉も見つからず困惑して本人を見てみると、当人は覚悟のきまった鶴の如き凛々しい居ずまい。
あらためてお姉さんを尊敬しなおす。
『果てしなく鳥』とはなんともかっこいい。


そういえば昔わたしは花でした 手のひらの上で 果実がつぶやく
 (ちゃこ)

すべての果物は花としての時期を経て果物となる、という再発見。
その事実を手のひらの上の果実に語らせることで、己の過去に対する追憶にもなっている。
失われた花としての自分に対する微かな悔恨が上手く表現されている。


体中の真水に鳥が来ればいい 記憶の果てに水差しを置く (いまがみまがみ)

理屈っぽい比喩、過度に意図的な比喩は時として非常に煩いものに響きますが、この歌の比喩はどれも詩的で心地よい。
「真水」「鳥」「水差し」といずれも水に関連する物たちによって、森の奥の冬鳥を待つ湖のような静謐さが際立っています。
『記憶の果てに置く』といういろいろ捨て去った諦観も潔い。


「英語ではメロンやスイカにたとえます」「果物は無理。花にたとえて」 (魚住 蓮奈)

こちらは喩えられるものは『乳房』。
メロン、スイカは望外にしても、桃、リンゴ、ミカンくらいは・・・せめてイチゴに・・・
「いえ、花でお願いします。」
自虐の中にも己の身体に対する愛情も垣間見られ、微かなエロスも忍び込ませた所が面白い。


果て口に立てかけられた一本の斧がうつくしい 加わろう (村上きわみ)

『果て口』『斧』と死を思わせる破滅的なイメージを重ねつつ、その空気はあくまでも静寂に包まれている。
一字空け、字足らずの結句で一瞬の躊躇の後、『静かな破滅』へそっと踏み出す描写も巧みである。


すずなりに母親のうで垂れおちて撫ぜる腐敗の果てのくだもの
 (杜崎アオ)

やや難解な歌です。『腐敗の果てのくだもの』は自分自身のことでしょうか。
不甲斐なさにまみれた己を枝垂れた老木のように愛してくれる母への思いと読みました。
題の『果』を『腐敗の果て』で読みつつ『くだもの』とひらがなで使う遊び心にもニヤリとさせられる。


果物を入れた茶色い紙袋はしゃいでみえていいとおもった (本田瑞穂)

漫画やドラマでよく見る『茶色い紙袋』にリンゴやミカンを山盛り入れて両腕に抱えるシーン。
坂道でこぼしてしまい、転がり落ちるリンゴを追いかけて・・・物語の導入部にありそうな場面です。
実生活ではせいぜいグレープフルーツを二つほどレジ袋のすみに入れて買ってかえる程度です。
それだけに、茶色い紙袋の果物ははしゃいで見える。するどい観察眼から生まれた歌です。